志村けんがお笑い芸人になった理由は生い立ちと性格にある!コントの神様のストイックさも
お笑いで一世を風靡し、「コントの神様」と言われた志村けんさんが、2020年3月29日に新型コロナウイルスでお亡くなりになりました。
だいじょうぶだぁや、バカ殿様は、大人気でしたよね。
そこで今回は、志村けんさんの性格やコントの神様と言われるようになったきっかけを作った生い立ち、家族構成などを調べていきたいと思います。
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志村けんのプロフィール
- 本名:志村康徳
- 生年月日・1050年2月20日
- 出身:東京都新宿区
- 血液型:A型
- 身長:166センチ
- 所属:イザワオフィス
志村けんの生い立ち
志村けんの生い立ちと芸名の由来
小学校教諭だった父と母との間の三男として、東京都東村山市に生まれた志村さん。
二人の兄は大学を卒業して公務員になりましたが、末っ子の志村さんは真逆の人生を歩むこととなります。
ちなみに、芸名の「けん」はお父様の名前から取ったものだそうですよ。
志村けんがお笑いを目指した理由は父にある?
志村さんいわく、幼少期は、お父様は厳格な人だったので、家庭はいつも重苦しい雰囲気に包まれていたのだとか。
でも、当時はまだ珍しかったテレビのお笑い番組で漫才や落語を観ている時だけは、嫌な日常を忘れることが出来たとのちに言っています。
さらに、「その時だけは父も声を出して笑っていた」と語り、そのような体験から、お笑い芸人の世界に憧れを抱くようになり、中学生の頃にはお笑いの道に進むことを決心していたそうです。
志村さんが中学生の頃には、校長への昇進を目指して勉強に励む毎日を送っているお父様を見て、「つまらない人生だな」と思っていたとのこと。
そんなお父様を見て、末っ子の優しい志村少年は、お父さんをもっと笑させたい、と思いつつも、お父さんとは違う人生を歩むぞ、と決めたのでしょうね。
コントの神様:志村けんの性格
志村さんは、付き人から芸能界入りしていますが、コントの神様と言われるようになるには、努力とともにご本人の性格もとても影響していたようです。
優しい人柄
志村さんがお年寄りから子供にまで人気があったのは、人に対する愛があふれる優しい人柄だったからです。
人の気持ちに敏感だった志村さんは、相手の気持ちになって考えて行動できる人柄だからこそ、その優しさが笑いの中にもあふれていたのでしょうね。
志村動物園見て号泣した😭
スタジオメンバー全員号泣して、ほんとにみんなから愛されてたんだと実感。
それでもって動物にも愛される。
こんな人いないと思う…
動物は勘が鋭いからパンくん、プリンちゃん、チビちゃんはじめ動物達は何か感じてるんだろうな…😭ありがとう志村園長。#志村動物園 pic.twitter.com/NAqpAO2mfg
— 江口 和輝/Eguchi Kazuki (@Eguchi_Per_timp) April 4, 2020
また、志村さんは、人だけでなく動物たちからも愛されていましたよね!
志村さんとパンくんやプリンちゃんとの仲睦ましい様子は、画面越しに観ているこちらまでも癒してくれました。
弟子思い
上記の相手の気持ちになって考える人柄と重なる部分もありますが、志村さんは本当に弟子思いの方でもあったようです。
弟子の乾き亭げそ太郎さんは、次のように志村さんのことを話しています。
『弟子を辞めさせてください』とお話ししたときに志村さんに怒られたんです。
『ダメだ。お前、この3年の間に何もやってないじゃないか。環境を変えたら自分ができると思っているかもしれないけど、やる人はどの環境にいても絶対にやるからな。俺もドリフターズに坊や(付き人)で付いていたときに、坊やの仕事をしながらメンバーやスタッフを笑わせていた。与えられた環境で何もしていないお前は他へ行っても何もできない』
と言われました。
(引用:週刊文春)
志村さんの、弟子の将来のことを思っているからこそのエピソードですよね。
遅刻が嫌い
志村さんは、遅刻が大嫌いだったそうで、次のようなエピソードもあります。
志村さんがもっとも嫌うのが遅刻です。
ある日、僕が一度だけ大幅に遅刻してしまったことがありました。
収録終わりの深夜3時のファミレスで志村さんに『お前、ナメてんのか! オレは1日がマイナスからのスタートになるから遅刻は嫌なんだ。“すみません”のマイナスからのスタートになることを何で弟子のお前がやるんだ。調子に乗ってんのか』と、朝の7時まで説教を受け、本当に申し訳ないと思いました。
(引用:週刊文春)
ドリフターズ時代から厳しい芸能界を見てきた志村さんだけに、周りに迷惑をかけてしまう遅刻をとにかく嫌ったのでしょうね。
常識的な人柄
ドリフターズのメンバーとは、常に敬語で話し、上下関係もしっかりと尊重していたことからも、とても常識的な人柄が伺えた志村さん。
常々、人を笑わせるには、人の気持ちや常識がわからないといけないと言っていたそうで、人間的にもとてもできた方だったことが伝わってきますね。
自分に厳しいストイックさも
また、志村さんは「ライバルは自分自身!」と言っていたそうで、誰かをライバル視するのではなく、自分ができることをひたすら追求するのみというストイックな考え方をされていたようです。
厳しい芸能界で48年間も君臨してきた大御所ならではの姿勢ですね!
女性に対しては飽きっぽい
ここまで志村さんの芸人としての素敵な面をご紹介してきましたが、実は女性に対しては飽きっぽいのだとか。
生涯独身だった志村さん。
トーク番組では、司会者から「結婚する気はあるんですか?」と尋ねられると、「飽きっぽいのでうまくいかないんですよ。」と語っていました。
お笑いに対するストイックな面と対照的な部分もあったんですね!
まとめ
志村けんさんのコントの神様と言われるようになったきっかけを作った生い立ちや、お笑い界の大御所になる元となった性格を調べてみました。
厳格なお父様に対してもっと笑ってもらいたいという思いもあったのでしょうね。
お笑いにかけるストイックな姿勢とともに、どんな人にも誠意ある優しさがあふれていたことがわかりました。
お笑いだけでなく、人としての素晴らしさがあったからこそ、老若男女から支持され続けたのだなと感じました。